終点枕崎

プログラミングとvimと音楽と地理

伊那谷探訪

前期の期末試験が終わった。体力の消費と体の痛みがひどい。二度とやりたくない。

ところで、この度7/28-7/30の間、地理レポート資料集めのために長野県は伊那谷を訪れた。その記録をここに残そうと思う。

1日目

テストが終わった。うーれしー!!!

その足でまずは京都駅に向かう。伊那市にいい感じのゲストハウスが空いているみたいなので予約を入れた。一泊3500円というのは貧乏学生にはとても嬉しい。

バスは16:10に京都駅を発車して、東名高速に入る。そして名古屋からは中央自動車道で長野方面へ。中央道西春近バス停に到着したのは21時前。

バスを降りると道路以外周りに一切明かりがない。いや、覚悟はしていたが本当に何もない。目が慣れるのにしばらく時間がかかる。一緒に降りた一人の女性はあっという間に暗い坂道を降りていってしまった。当たり前である。ここで変質者に襲われたら生きては帰れない自信がある。

幸いなことに僕はそれほど暗闇が苦手でないから、のんびりと坂を降りることにする。非日常感と謎の高揚感と少しの不安感が入り混じった不思議な気分だった。

高速道路は伊那谷の中でも山に近い高台を走っているから伊那の夜景が一望できた。この高揚感はおそらくこれが原因であろう。写真に収めることができなかったのが残念である。今度はきちんと三脚を持って行くことにする。

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坂道を降りて行くと直に崖にさしかかる。これは伊那谷の特徴的な地形で、田切地形という。谷の真ん中を流れる天竜川の河岸段丘だけでなく、扇状地を流れる支流にも侵食が進み、段丘崖が現れている。そのため、この地域には太田切川、中田切川、与田切川など、「田切」の名がつく天竜川の支流がいくつか見られる。

5kmほどの道のりを歩いて、ようやく今日の宿の赤石商店に到着した。

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(7/30の朝に撮影)

古民家を改装したらしい。寝床はこんな感じのドミトリー。

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店主は優しい人だった。「西春近から歩いてきた」と言うと、「外国人か」と苦笑いされてしまった。

明日は絶起するわけにはいかないから、早めに寝ることにする。

2日目

7時に起きた。この時間に起きたのは何ヶ月ぶりだろうか。

自転車をレンタルできるということなので喜んで使わせてもらうことにする。

自転車は天竜川を渡り、伊那市街へ入る。伊那の町は時代から取り残されたような町だった。最盛期は商店街は人で溢れ、多くの人が行き来していたのだろう。そういった名残を感じさせる街だった。またいつか時間をかけて散策してみたい。

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伊那の町を抜けて程なく、天竜川の段丘崖に差し掛かる。その高さは優に50mはある。崖を登りきると、そこには広大な田園地帯が広がっていた。

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奥には伊那の町が見える。

このような広大な台地の上での水田耕作を可能にしたのは、ご存知の通り西天竜幹線水路である。

西天竜幹線水路は長野県の上伊那地方の天竜川西岸を流れる農業用水である。長野県岡谷市で天竜川から取水し、辰野町箕輪町南箕輪村伊那市の台地状の扇状地上を横断する。この一大事業によって、江戸時代に比べて石高が3倍に増えたらしい。

箕輪町郷土博物館でいただいた資料から引用して、西天竜幹線水路の概要とその歴史を記しておく。

・西天竜幹線水路の概要(西天竜用水路 箕輪町見学会資料 信州大学農学部 内川義行 から一部引用)
岡谷市川岸で取水、伊那市小沢側へ放流(流量5.56m^3/sec)
水路総延長 約26km
受益農地面積 1,180ha
事業総額 680余万円
・構造物(同上資料とpixiv百科事典から一部引用)
頭首工 1ヵ所
サイホン6ヵ所
土砂吐 7ヵ所
ゲート 2ヵ所
分水工 83ヵ所(現在) 内、円筒分水工は48ヶ所
水路橋 7ヵ所?
ずい道 不明
発電所 1ヵ所 発電所から2.5キロメートル程上流にいった小沢川の途中に助水工がある。
助水工 不明
[深沢水路橋]
箕輪町深沢川を渡る鉄筋コンクリートラーメン構造の水路橋。
現在は廃止、道路に転用。水路は逆サイフォン形式に置き換えられた。
橋長 145m 幅 3m 橋脚高 15m
[円筒分水工](西天竜幹線水路 箕輪町見学会資料 信州大学農学部 内川義行 から一部引用)
開発は可知貫一(京都帝国大学)。穂坂申彦が導入。

形状 箇所数
27
20
矩形+半円水槽 1
48
分岐数 箇所数
1 4
2 19
3 20
4 4
不明 1

・西天竜幹線水路の歴史(西天竜用水と開田 より一部引用)
大正7年(1918年)
この年起こった米騒動第一次世界大戦により、政府が食糧増産政策をとったため、開発の機運が高まった。政府が開墾費用の40%を補助し、急速に実現の運びとなった。これ以前にも明治時代にも3回開発の計画や測量が行われたが、いずれも工事着手には至らなかった。
大正8年(1919年)
5月から全地区の測量が行われ、9月に完了。また先に申請した西天竜耕地整理組合が県知事より認可され、12月4日に創立総会が開かれた。
大正10年(1921年)
用地買収開始
大正11年(1922年)
11月に起工式を挙行し、水路工事着手
昭和3年(1928年)
第5期工事までが竣工し、11月に通水式を挙行した。これに先行し、2月からは開田工事が始まっている。
昭和4年(1929年)
6月に頭首工が完成
この頃に水争いが発生し、組合当局に改善要求
昭和8年(1933年)
円筒分水の工事に着手
昭和13年(1938年)
3月、深沢サイフォン工事が竣工
昭和14年(1939年)
4月に開田工事が竣工
昭和15年(1940年)
4月28日、竣工祝賀式を盛大に挙行

工事着手から18年、悲願であった疏水工事が終結し、約1,200ha(サッカーグラウンド1700枚分)が青々とした田園地帯と化したのであった。

全国各地の用水路の中でもこの西天竜幹線水路が異色な理由は、他でもなく48基の円筒分水工群である。円筒分水の仕組みに関しては、次のサイトに説明を任せることにする。
円筒分水ドット・コム
綺麗な円形をした分水槽、メカニックな機能美、そしてそれに見え隠れする血に彩られた水争いの歴史。なかなか興味深いものではなかろうか。

今回は伊那市南箕輪村箕輪町区間の水路沿いを輪行し、円筒分水の写真を撮ってきた。その中でも気に入った分水の写真をいくつかあげる。

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円筒分水や水路はよく手入れされている。一部の円筒分水のコンクリートはピカピカだった。全国的に円筒分水がその役目を終えていっている中、こうして持続的な改修がされているのは貴重である。

次に向かったのは箕輪町郷土博物館である。ここでは上伊那地方の水事情について貴重なお話を聞くことができた。

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昔から上伊那地方の段丘面を水田開発しようという構想はあったらしい。昔の人も勿体無いと感じていたのだろう。しかし、それの実現には近代的な用水技術の出現を待たなければいけなかった。

近代化以前にも、用水路の建設によって開田された地域は僅かながら存在した。山奥の小さな沢から取水し、樋を伝って村まで水を引いたり、カナートのような横井戸を掘って地下水を集めたりなど。それほどまでして水を得る必要があったのだ。

また、木曽山脈にかかる伊那市の権兵衛峠には、かつてその峠を越えた用水路が存在した。木曽山用水といい、日本海側に注ぐ奈良井川の支流、白川の上流部から取水し、等高線に沿って、僅かな下り勾配を作りながら権兵衛峠を越え、太平洋側である伊那谷へ導水していたという。この用水路は、なんと中央分水嶺を越えていたのだ。水に対する執念をひしひしと感じる。

郷土博物館の職員の方にお礼を言い、その場を後にする。次は県道88号線を南下し、駒ヶ根市へ向かう。

小沢川の田切地形によって道が分断されていて辛い。川を横切るためだけに、40mもアップダウンしなければならないのだ。隣を走る中央自動車道の橋梁を横目に見ながら坂を登る。

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2時間ほどかかって、駒ヶ根市に到着。駒ケ根名物ソースカツ丼を食べることにする。明治亭本店に行ったが、1時すぎにも関わらず大行列ができていたので素直に諦めた。

代わりに駒ケ根駅前の「きよし」さんでカツ丼(上)をいただく。1080円。甘いソースとサクサクの衣の相性が絶妙だった。上を頼んだだけあって、肉も柔らかく美味しい。

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午後は雨予報のため、国道153号線で赤石商店へ帰ることにする。

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雨に降られながらも午後3時ごろに赤石商店に到着。店主にまた「外国人か」と苦笑いされてしまう。

なんでも、この辺りでは自転車に乗る人がいないらしい。言われてみれば、自転車に乗ったおばちゃん1人と、チャリダー1人しか見かけなかった。完全に車社会。近くのコンビニでさえも車で行くらしい。
歩いている人はもっと少ない。登校中の中学生しか見かけなかった。店主は、「歩いていると珍しいから見られるんだよねー」と言っていた。

晩御飯は、赤石商店を間借りして営業していたカレー屋さんでカレーをいただく。インディカ米とジャポニカ米のミックスで、インディカ米が苦手な僕でも食べやすい。
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3日目

今日は帰るだけの日程だ。

6:53、伊那市発。天竜峡で乗り換えて、中部天竜へ向かう。天竜峡をすぎると、その先は秘境駅が連続する。誰が使っているのだろうか?駅への道が獣道だけしかないような駅がゴロゴロある。

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昨日の雨のせいもあり、天竜川は濁っていた。

10:42、中部天竜着。佐久間ダム発電所が見える。次の列車まで1時間ほどあるからここで昼食をとる。が、駅前を見ると全くと言っていいほど活気がない。嫌な予感がして、駅員に食堂があるかどうか尋ねる。
「日曜日だから、空いてるのは病院の売店くらいですかねー。あとはやってるかどうかわかんないけど、食堂のいどばたさんが病院の隣にあるよ。」
いや、旅行中の昼食が病院の売店だなんて旅情がなさすぎる。食わない方がマシなくらいだ。いどばたに一縷の望みを託す。

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橋を渡って対岸へゆく。上流では濁っていた天竜川も、ここでは透明さを取り戻しているようだ。

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幸いにも営業していた。手打ちかけそば(700円)を食らう。

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「アワビカレー」と書かれた広告が目に入る。山の中でアワビとはこれいかに。

話を聞くと、廃校になった小学校の跡地を、アワビの養殖場に仕立て上げたという。いわゆる町おこしってやつだ。まだアワビがなかなか育たないので、月に2日間しか提供できないらしい。残念なことに訪れたのが第4日曜日だったからありつけなかった。今度中部天竜を訪れた時は、もっとアワビが育つようになっていると良いのだが…

11:36、中部天竜発。豊橋へ向かう。
13:23、豊橋着。抹茶あんまきを食らう。
13:33、豊橋発。東海道本線を乗り継いで京都まで帰る。書くことがない。
京都に着いたのは16:42。9時間42分の長旅だった。

旅を終えて

良質なレポート資料が手に入ったのはもちろん、段丘崖の高さや開田された水田地帯の広大さを肌で感じることができ、レポートを書く上で非常に参考になった。

あと人生初のゲストハウスを体験できて非常に満足。赤石商店には、機会があればまた訪れたいものだ。